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危険学プロジェクト報告会(続き) [もろもろ]

前回からの続き)

今回の報告会は、5年間のプロジェクトの4年目の活動報告なので、基本的には各分科会が継続してきた研究の報告というスタイルになる。
それぞれの内容はどれも興味深く、共通の特徴として

 ・現物をよく観察し、起こっている現象の本質に迫ろうとしている
 ・次に活かすための仮説を立てて実際に検証している

ことなどがよくわかる。
経験豊富な専門家の皆さんが、愚直なまでに工学的・実学的なアプローチを取っているところに、エンジニア魂みたいなものを感じる良い報告会だった。
(個人的には、安全で楽しい新しい遊具を開発する活動や、子どもの危険学の実践活動などが面白かった)

という会なのが前提であるということをまずお断りしたうえで、今回の大震災に関連した話、今後の危険への備え全般に示唆を与える話を特にピックアップして、再構成してみようと思う。
発表の時系列と一致しないこと、ノートのメモを基にしているので細部のニュアンスが伝わりきらない可能性があることはご了解いただきたい。

****

■本質安全と制御安全
本質安全というキーワードが繰り返し登場した。
工学でいう「フェイルセーフ」に通じる概念だが、制御安全という言葉と対比することでより意味が鮮明になる。

 ・「本質危険」は高エネルギー(温度/圧力/速度etc.)や高放射性物質、
  重要インフラ、巨大システムなどが本来的に持っている危険な状態、
  「制御安全」は、危険をコントロールすることで安全が成り立っている状態、
  「本質安全」は自然法則によって安全が確保されている状態
  【グループ(5) 設計の思考過程】

 ・天窓からの墜落事故に関して、天窓の周りに柵を作るのは本質安全ではない。
  面白いものであれば、子どもは柵を乗り越えて、同じ事故が再発するだろう。
  本質安全は、アクリルドームが破れてもその下のガラスを(割れにくい)
  合わせガラスにしておいて受け止めること。
  【グループ(1), (2),(3) 機械と人間】

  → 合わせガラスのコストは柵設置より安い。柵を設けるという動きを
    止め、国の機関が期限を切って(天窓の)改造を義務付けるべき。
    既存不適格の放置は、行政の不作為。
  【危険学プロジェクト・4年間を振り返って:畑村代表】

 ・自然にハードウェアで対抗するのは無理とわかった。
  しかし人はまた住むしかない。
  (津波については)本質安全はやはり高所避難。
  その上で制御安全としての警報システム(沖合に潮位計)だろうと思う。
  狼少年にならないような避難システム。
  【東日本(東北関東)大震災に思う】

 ・原発の「防護の壁」というのは実は制御安全の化け物だったのではないか。
  【東日本(東北関東)大震災に思う】

■原発事故
グループ(12) 原子力 の報告内容は「地震の前に準備できていたが、そのままの内容でいいのか、現在進行中のことで評価が困難である、という理由から資料をすべて取り下げた」という説明があった。
代わりに畑村代表から、原子力に対する基本的な考え方のみが報告された。

1.1000年に一度の災害のためとはいえ、大きな危機を招いたことは残念です
2.将来のエネルギー問題を考えた時、国民生活を守るためには原子力発電が依然大きな役割を持つと考えます
3.今回の経験に学び、技術や運営の問題点を明らかにし、世界の発展に寄与することが危険学の課題であると考えます

 ・化石燃料、風力、地熱では電力要求を満たしきれない。
  (特に新興国の伸びを考えると)
  これからも原子力は必要となるだろうが、このまま突っ走る、ではない。
  利便と、コスト・危険を含めた負担でバランスすることを考えないと
  いけない。等の深い議論を(震災の前から)してきた。
  【グループ(12) 原子力 畑村代表による経緯の説明】

 ・津波の規模は想定外でも「津波による冷却機能の喪失」は想定外だったのか?
  原発運転中の問題にばかり目がいって、停止後の冷却機能の喪失の危険に
  ついて注意が向かなかったのでは。

 ・想定外の場合には「廃炉を前提」とする対応を取るという基本ルールを示す
  ことの重要性(の認識が必要)。

 ・4点、「①客観的な安全の確保」「②原発という施設の保持」「③住民の
  生命・身体保持」「④情報開示の確保」をどうするか、事前に明確に
  メッセージとして発するべきだった。
  今でもそうなっていないことが、大きな不安感につながっている。

 ・今回、ツイッターで情報収集し、救援要請など必要な情報を総務省対策本部
  に伝えることを1週間やってみたところ、驚くほど対策本部も知らない情報
  があった。
  民間企業の方から、コンクリートポンプ車による水の注入というアイデアを
  いただき、すぐ官邸に伝えて導入が実現した。
  【以上 特別報告・東日本大震災と組織のコンプライアンス:郷原氏】

 ・コンクリートポンプ車の利用は実は気付いていた。本質は圧送技術であり、
  ポンプの接続延長が容易という特長がある。
  圧送のことを知っていれば対策もすぐにできていたと思う。
  要求機能と制約条件を明らかにして、本質解をすぐに実現する
  ことが重要。

 ・(事態は)収まる、収めるように頑張っているから収まると思う。
  そこで振り返る必要がある。
  【以上 危険学プロジェクト・4年間を振り返って:畑村代表】

 ・あらゆる産業は、200年かけて安定したものになる。
  (ボイラー、鉄道、自動車、航空....)
  原子力は、まだ60年。スリーマイルではヒューマンエラーの危険を学び、
  チェルノブイリでは発散系というシステムそのものが持つ危険を学んだ。
  (注:福島第一はチェルノブイリとは異なるシステム)

 ・今回も想定できなかった問題を引き起こしたが、制御安全だけでなく
  本質安全を考えるべき。
  例えば使用済み核燃料を、なぜあんな高い場所に置いたのか。本質危険。

 ・あと140年は、また未知の何かの問題を経験する。他分野の知識を真摯に
  取り込むことも必要。
  【以上 東日本(東北関東)大震災に思う:畑村代表】

■危険と社会
考察を深めるほど、危険と社会との関係性に思いが至るようで、社会全体や組織全体を俯瞰したコメントがいくつもあった。

 ・御巣鷹、福知山線の遺族の思いを聞くと、突き詰めれば「事故が忘れられ
  肉親の死が忘れられるのがつらい」ということ。
  遺族は事故の教訓が生かされた対策が取られることを望んでいる。
  【グループ(0) 危険と社会】

 ・人間中心の考え方で(危険を制御して)きたが、巨大システム・複雑系
  システムになり、人間で本当にコントロールしきれるのだろうか?
  そろそろ、人間とシステムが相互補完するという考え方が必要では。

 ・社会が変化し、距離感のある業種に対しては「リスクが見えにくい
  = リスクがないものとする」と捉える傾向があるのではないか。
  距離感の近い「生命(⇔病気)」に関する医療へはリスクが見えやすく、
  「安全(⇔事故)」に関する交通機関はその次。さらに「生活(⇔不便)」
  に関する電力(原子力)となるとリスクをほとんど気にしないのでは。
  【以上 グループ(11) 航空/ベンチマーク】

 ・危機にこそ人と組織が試される。思考停止社会で、ことの本質を見ず、
  その底辺、例えば法令遵守のことだけを見て物事を考えないために、
  急激な変化への対応力が落ちている。

 ・危機において、全体を見て考えるべき人が自分で体を使っていては、
  飛躍的な能力が発揮できない。
  平時の発想「自分でできることは自分でやる」とは逆の「他人でできる
  ことは他人にやらせる」という発想が危機においては必要。
  【以上 特別報告・東日本大震災と組織のコンプライアンス:郷原氏】

■事故・災害の教訓を次に生かす
総括の中で、危険学の今後の活動や震災復興に関する思いが畑村代表から話された。

 ・再現実験の重要性。天窓落下事故の再現試験のような、再発防止の観点で
  実験を行なう組織がない。(責任追及で行なうところはある)

 ・事故の取扱で、以下が決定的に不足している。
  ①納得性のある調査
  ②再現実験
  ③実物保存・動態保存 :回転ドア、圧力隔壁、飛散したタービンロータ等
  特に③については、感性に訴え、人を動かす力となる。
  実感を持つことでその人の内部基準となり、直観で体が動くようになる。
  また、事故の記憶の風化を防ぐ(遺族の思い)。
  さらに、時空を超えて正しく情報が伝わる。

 ・責任追及が必要なこともあるが、責任追及そのものを目的にしてはいけない。
  【以上 危険学プロジェクト・4年間を振り返って】

 ・(今回の地震の)死者・行方不明者の数はさらに増えると思うが、母数と
  なる住人の数を考慮すると、貞観・明治三陸・昭和三陸の津波のときと
  くらべて率としては下がっているのではないか。
  知識の共有が進み、行動に移した人が多数いたのだと思う。

 ・歴史に学ぶことも重要。貞観津波は1200年前。
  3日で飽き、3月で冷め、3年で忘れるのは個人が忘れること。
  30年で組織が忘れる(途絶える)。60年で地域が忘れる(世代交代)。
  300年で歴史から消え、1200年では存在も知られなくなってしまう。

 ・JR東日本の関係者に聞いたところ、津波に巻き込まれた4編成の電車とも
  「乗客・乗員全員無事」とのことだった。指令からは「逃げろ」という
  指示だけで、マニュアルもない事態にその場で考え、地形を把握して
  安全な高台に乗客を誘導したということ。使命感の高さを感じた。
  こうした(非常時の)思考回路はあらかじめ作っておくしかない。

 ・このような状況だが、ネガティブにならずポジティブにいくしかない。
  個の独立と、集団の協力ができた人だけが生き残っていける。
  【以上 東日本(東北関東)大震災に思う】

****

かなり内容を端折ったが、実際には半日まるまる使った濃密な報告会で、ビデオ上映や実物体験も含め、五感に伝わった全ての情報を文字だけで表わすのはとても難しい。

これだけの研究・考察をその道の専門家たちがほぼ手弁当で行ない、一般者にもわかりやすく公開しようとしているのには頭が下がる思いだ。

来年は5年間のプロジェクトの総仕上げの報告会にあたるので、ぜひまた行ってみたいと思う。


※誤記訂正(以前→依然) 2011/03/30 21:15

危険学プロジェクト報告会 [もろもろ]

20110327.JPG

3月27日に行なわれた、危険学プロジェクトの2010年度末報告会を聞きに六本木ヒルズに行った。

いや、聞きに行こうと思ったきっかけは、エレベータ事故や回転ドア事故に関する取り組みに興味があったとか、失敗学・危険学を始めるずっと前の畑村教授の講義を受けたことがあったので以前から知っていたとか、ちょっとしたつながりがいくつか重なったからだったんだけど。

まあそんな個人的な興味もあって、軽い気持ちで受講を申し込んだのが2月。
ところが3月11日に大地震が発生してから現在に至るこの状況の中、図らずもこの危険学プロジェクトの報告会はものすごくタイムリーな開催になってしまった。

もしかすると延期か中止かもしれないと思ったが、事務局からの案内も特にないので、あの畑村教授がどのようなコメントをするのだろうか、各プレゼンの内容も急遽見直しや追加が入るのだろうか、など思いながら会場に向かった。

結果から言うと、とても有意義で、示唆に富んだ深い内容の話が多く聞けた。
今後、重要になりそうな考え方のヒントもあちこちにあったと思う。
会場で生の発表を聞いて感じた印象や雰囲気すべては伝えきれないが、重要と感じたことを残しておこうと思う。


プログラムはこちら
グループごとの年間報告がベースだが、以下が変更された。

・郷原信郎氏の特別報告が「組織の思考が止まるとき」から「東日本大震災と組織のコンプライアンス」に変更
・畑村教授のプロジェクト4年目の総括報告後に、「東日本(東北関東)大震災に思う」を追加

****

開会挨拶の畑村教授。
 「今回の内容、地震で全て見直した」
 「まず最初に黙祷をしようと思います」

全員、起立して1分間黙祷。
聴衆も皆(400人くらいか)、特別な思いを持って会場にいるのだろう。
咳一つない静寂だった。

今日はここまで。
印象に残った内容については続きで書きます。


(余談)
ちなみに昔受けた畑村教授の講義はきわめて現地・現物主義で、例えば生産技術の授業では「メーカーに行けばわかると思うけど、現場では本当にこの通りにモノを作ってるから」と言ってはテキストには書かれていない具体的な金型の構造などをサラサラと書いたりして、退屈な授業とは無縁だった(実際、後日ものづくりの現場を知るようになったらその通りだった)。

また産業実習という講座では、学生をいろいろな大手メーカーの工場に振り分けて1週間くらい見習い扱いで放り込むのだが、今思えばメーカーにとってあんな面倒な学生実習をよく受け入れさせていたものだと思う。当時から行動力抜群な方だったので、産業界にも相当無理を言える立場だったんじゃないだろうか。
そんなこんなで、私は夏休みに東芝府中工場で旋盤加工の実習をさせてもらい、短い間だったがそれは貴重な体験になった。

一面にすぎないと思うけど、畑村教授がどんな方かなんとなく伝わるだろうか。

続く

※3/28 06:05 「黙祷を捧げたいと...」ではなかったような気がしたので「黙祷をしようと...」に修正しました

徒歩帰宅。 [もろもろ]

20110311.jpg
3月11日に発生した東日本の大震災から6日経つが、未だに新たな事態が次々と起こるという状況にある。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。また1人でも多くの命が助かることを願うばかりです。

きわめて個人的な体験だが、その日に勤め先から自宅まで徒歩で帰宅したときに感じたこと、わかったことを記憶が鮮明なうちにメモしておく。

私の場合は、川崎市内から東京・多摩エリアの東端にある自宅までの16km強を、主に府中街道沿いに北上するルートだった。
17時半に出て、21時少し前に帰宅。
最後の1kmは、最寄り駅に置いた自転車を使えたのでちょっとズルいけど、ほんと助かった。平坦な道なのにあんなに脚が痛くなるとは思わなかった。

(感じたこと)
1.今回は割と安全な環境だった
 今回歩いた地域は震度5弱~5強だったと思うが、道路の地割れもなく、ガラス等の落下物もなく、人々が比較的冷静という、割と安全といえる中での徒歩帰宅だった。
 首都圏では、東南海・南海・東海地震あるいは首都直下地震でも同様に交通機関が麻痺するだろうが、徒歩帰宅者にはより厳しい環境になるのではないだろうか。
 今回の経験で得た反省を踏まえて同じ轍を踏まないようにしよう。

2.ライトは必要
 以前からマグライトを持ち歩くようにしていたが、これはあった方がいい。
 写真はまだ日が落ちて間もない時間帯のものだが、夜になってから歩いた停電中の地区では、街道沿いにもかかわらず自分の足元すら見えない場面に何度も出くわした。地割れや落下物があったら危ないところだ。

3.携帯充電器も持っておこう
 予想通りというか、音声通話はつながらなくなったが、意外にもネットへのアクセスやワンセグは使えた。次もそうだという保証はないが、もし使えるなら携帯機器の充電器はやっぱりほしい。これまで持ってなかったので、これを機に導入しようと思う。
 ライトの予備電池も兼ねられるような製品にしよう。

4.携行食は先に確保
 今回、歩いた人はよくわかると思うが、街道沿いの店・コンビニのおにぎりやパンはあっという間になくなった。
 エネルギー源と補給水は、出発前に確保した方がよい。
 私はカロリーメイトをかばんに常備しようと思った。
 (街角で弱った猫に出会ったときにも使えるし)

5.身軽に
 かばんは重くないと思っていたのだが、手提げなので3時間も持ち歩いているとけっこうな負担になった。
 必要最小限のものだけをかばんに残し、あとはすべて勤め先に置いていく方がいい。
 あと、普段はウォーキング用の靴を履いているのでいいのだが、革靴の日はきっとつらい。女性で、ヒールの高い靴を履いてきた場合はなおさらだろうと思う。
 できれば、勤め先に歩きやすい靴も常備しておきたい。うちはロッカー小さいのだけど。

6.地図は事前に頭にたたきこむ
 以前、徒歩帰宅のルートを調べてみたことはあったのだが、詳細な道までは覚えていなかった。なので今回は地震の後にあらためて調べてから出発した。
 しかし、次の機会にもネットがつながる保証はない。詳細なルートまで、事前にちゃんと覚えておくべきだった。
 まあ、これは今回の経験でしっかり覚えられた。
 最短ルートが通れなかったときの予備ルートも頭に入れておこうと思う。

「次回」はないに越したことはないが、まあ何かしらあるだろう。
今回の体験を踏まえ、同じ失敗はしないようにしたい。

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