ケーニヒスベルクの橋の問題、「不可能」じゃなくなってた! [パズル]
『ケーニヒスベルクの橋渡り』という有名なパズルの話がある。
ケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード)にある7つの橋を1回ずつ渡れるか、という問題で、18世紀にオイラーがこれを一筆書きの問題に置き換えて「不可能」と結論づけたという逸話が残っている。
(詳しくは、パズル遊びへの招待・オンライン版「1−18.橋渡り問題と一筆書き」参照)
ところが先日、SNSのフォロワーさん(数学の先生)が「今や一筆書きできるようになってた....」というので確かめてみたら、本当だった。
【1651年のケーニヒスベルク】
見づらいので色を付けてみると、以下のように橋が7つある。
これは確かに、一筆書きでの橋渡りはできない。
一方、現在のカリーニングラード。
【2019年の空撮写真】
1651年の図と比較すると、ケーニヒスベルク大聖堂のある中央のクナイプホーフ島に架かる橋が2本減り、下の陸地と右の大きな中州を結ぶ橋(歩行者専用橋らしい)が1本、右の中州を縦断する道路の橋が2本増えて、現在は合計8本の橋が存在している。
でこの8本の橋を1回ずつ渡れるかというと、確かに一筆書きで回れるようになっている。
ケーニヒスベルクの橋渡りの問題は、いつの間にか「可能」になっていたのだ!
すごい。
そうなると次に興味がわくのが「じゃあいつから橋渡りは可能になったの?」というところ。
ここからはロシアの古地図のサイト「retromap.ru」を使って、ケーニヒスベルクの橋の変遷を追ってみよう。
1763年、1815年、1905年の地図では、いずれも17世紀と同じ位置に7本の橋が架かっている。
【1763年】
【1815年】
【1905年】
1905年までは、橋渡りは不可能だったようだ。
1910年や1941年の地図では、下の陸地と右の中州を結ぶ道路ができ、橋の数が8つになっている。
【1910年】
【1941年】
1910年代から1940年代にかけ、初めて橋渡りが可能になったといえそうだ。
次に様子が変わるのが1956年の地図。
【1956年】
この時期に中央のクナイプホーフ島に架かる橋が2本減ったが、なんと同時にせっかくできた8本目の新しい橋まで真ん中で分断されてしまい、橋は一気に5本にまで減ってしまった。
どうして真ん中で切ってしまったのか。戦争中に壊されたのか、それとも大きな船の通行に邪魔だったのか?
しかし、5本になったとはいえ、この時点で橋渡りは可能。
以後、橋が5本の時代がしばらく続き、次に変わるのは1993年の空撮写真。
【1993年】
この時期に、右の中州に新しい縦断道路が通り、橋が2本増えて7本に。
1956年の地図で分断されてしまっていた橋はもう撤去されている。
ちょっと見づらいが、以下の2005年の地図で見るとよくわかる。
【2005年】
この1993年頃から2005年まで橋が7本だった時代は、再び橋渡りが不可能な時期だったことになる。
そして2005年、一度は取り壊された8本目の橋の場所に新たな歩行者専用の橋「Юбилейный мост(Anniversary bridge)」が架けられた。なんでも市政750周年に捧げられたのでこういう名前になったのだとか。
(写真はGoogle Mapから)
ということで2005年以降は橋が再び8本となり、橋渡りが可能な状態になっている。
単に「ケーニヒスベルクの橋渡り」と言っても、時代によって橋の本数や位置が変わって、一筆書きで橋渡りができたりできなかったりするというのが面白い。
----
では最後に番外編で、オイラーがこの問題を解いたとされる1735年に近い、1732年の地図を。
【番外編:1732年】
!?
1732年の地図では、下の橋が2本あるように見えるじゃないですか。
並んでいる右側の橋は、17世紀から現在に至るまでずっとこの場所にある橋。
左側の橋は、この1732年の地図にだけ描かれている橋。
1732年前後の時期だけ、下の橋は本当に2本あったのだろうか?
これが本当であれば当時の橋は全部で8本で、橋渡りは可能。
オイラーが解いたという1735年にも、もしかしたら8本の橋渡りが可能だったかもしれない?
謎は深まった(笑)。
ケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード)にある7つの橋を1回ずつ渡れるか、という問題で、18世紀にオイラーがこれを一筆書きの問題に置き換えて「不可能」と結論づけたという逸話が残っている。
(詳しくは、パズル遊びへの招待・オンライン版「1−18.橋渡り問題と一筆書き」参照)
ところが先日、SNSのフォロワーさん(数学の先生)が「今や一筆書きできるようになってた....」というので確かめてみたら、本当だった。
【1651年のケーニヒスベルク】
見づらいので色を付けてみると、以下のように橋が7つある。
これは確かに、一筆書きでの橋渡りはできない。
一方、現在のカリーニングラード。
【2019年の空撮写真】
1651年の図と比較すると、ケーニヒスベルク大聖堂のある中央のクナイプホーフ島に架かる橋が2本減り、下の陸地と右の大きな中州を結ぶ橋(歩行者専用橋らしい)が1本、右の中州を縦断する道路の橋が2本増えて、現在は合計8本の橋が存在している。
でこの8本の橋を1回ずつ渡れるかというと、確かに一筆書きで回れるようになっている。
ケーニヒスベルクの橋渡りの問題は、いつの間にか「可能」になっていたのだ!
すごい。
そうなると次に興味がわくのが「じゃあいつから橋渡りは可能になったの?」というところ。
ここからはロシアの古地図のサイト「retromap.ru」を使って、ケーニヒスベルクの橋の変遷を追ってみよう。
1763年、1815年、1905年の地図では、いずれも17世紀と同じ位置に7本の橋が架かっている。
【1763年】
【1815年】
【1905年】
1905年までは、橋渡りは不可能だったようだ。
1910年や1941年の地図では、下の陸地と右の中州を結ぶ道路ができ、橋の数が8つになっている。
【1910年】
【1941年】
1910年代から1940年代にかけ、初めて橋渡りが可能になったといえそうだ。
次に様子が変わるのが1956年の地図。
【1956年】
この時期に中央のクナイプホーフ島に架かる橋が2本減ったが、なんと同時にせっかくできた8本目の新しい橋まで真ん中で分断されてしまい、橋は一気に5本にまで減ってしまった。
どうして真ん中で切ってしまったのか。戦争中に壊されたのか、それとも大きな船の通行に邪魔だったのか?
しかし、5本になったとはいえ、この時点で橋渡りは可能。
以後、橋が5本の時代がしばらく続き、次に変わるのは1993年の空撮写真。
【1993年】
この時期に、右の中州に新しい縦断道路が通り、橋が2本増えて7本に。
1956年の地図で分断されてしまっていた橋はもう撤去されている。
ちょっと見づらいが、以下の2005年の地図で見るとよくわかる。
【2005年】
この1993年頃から2005年まで橋が7本だった時代は、再び橋渡りが不可能な時期だったことになる。
そして2005年、一度は取り壊された8本目の橋の場所に新たな歩行者専用の橋「Юбилейный мост(Anniversary bridge)」が架けられた。なんでも市政750周年に捧げられたのでこういう名前になったのだとか。
(写真はGoogle Mapから)
ということで2005年以降は橋が再び8本となり、橋渡りが可能な状態になっている。
単に「ケーニヒスベルクの橋渡り」と言っても、時代によって橋の本数や位置が変わって、一筆書きで橋渡りができたりできなかったりするというのが面白い。
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では最後に番外編で、オイラーがこの問題を解いたとされる1735年に近い、1732年の地図を。
【番外編:1732年】
!?
1732年の地図では、下の橋が2本あるように見えるじゃないですか。
並んでいる右側の橋は、17世紀から現在に至るまでずっとこの場所にある橋。
左側の橋は、この1732年の地図にだけ描かれている橋。
1732年前後の時期だけ、下の橋は本当に2本あったのだろうか?
これが本当であれば当時の橋は全部で8本で、橋渡りは可能。
オイラーが解いたという1735年にも、もしかしたら8本の橋渡りが可能だったかもしれない?
謎は深まった(笑)。
年越し虫くい算 [パズル]
年末にツイートした虫くい算をここにも残しておきましょう。
これ実は数字が両方とも2014になっている虫くい算と終盤まで同じ解き方なんですが、こちらの方は他の人が先に発表しているかもしれないと思い、7月に流したときはこんな書き方をしていたのでした。
↓
この虫くい算の解き味はなかなか素敵なので、Twitter上でRTいただいたり解いてくださった方がたくさんいたのはとても嬉しかったです。(自分で作り込んだわけじゃなく偶然の発見なので臆面もなく書く)
akasyou@maantourfp 虫くい算・ゆく年くる年 #puzzle #quiz http://twitter.com/akasyou/status/5498875579330969612014/12/30 20:19
これ実は数字が両方とも2014になっている虫くい算と終盤まで同じ解き方なんですが、こちらの方は他の人が先に発表しているかもしれないと思い、7月に流したときはこんな書き方をしていたのでした。
↓
akasyou@maantourfp いつぞや書いた、セルフボツにした問題。作った、というより「見つけた」という感じの虫くい算です。たぶん同じ問題を先に発表した人が世界に5人くらいいる。 http://twitter.com/akasyou/status/4861026650597908502014/7/7 20:01
この虫くい算の解き味はなかなか素敵なので、Twitter上でRTいただいたり解いてくださった方がたくさんいたのはとても嬉しかったです。(自分で作り込んだわけじゃなく偶然の発見なので臆面もなく書く)
筆算で平方根を求める方法 [パズル]
筆算で√(平方根)を求める方法をどこかで習って覚えていたのだが、ふとそのことを思い出してTwitterで聞いてみると、知っている人はあまり多くない様子。
知っていた人も「教科書のAppendixに載っていた」「おじいさんに教えてもらった」「塾で聞いた」などまちまちで、少なくとも学習指導要領に入っていることはなさそうだった。
でもこれ、電卓がない場面では便利なので、覚えておいて損はないと思う。(最近は電卓が手元にない場面の方が珍しい?)
筆算の手法そのものは、開平法 - Wikipedia にも詳しく載っているのでそちらを見ればよいと思うが、なぜその方法で解が求まるのかを考えるのは、ちょっとパズルっぽくて面白い。
Wikipediaの解説が詳しすぎて少し読みにくかったので、√10の計算を例にとり、もう少しわかりやすく書いておきます。
√10=3.??? の求め方
小数点以下1桁目の数字をa1、2桁目の数字をa2、…とする。
・最初に面積10の正方形の板から一辺3の正方形を切り出すと、
残ったL字部分の面積: 10-3x3=1
ここからなるべく大きい幅 a1/10 の板を切り出すことを考える。
2つの長方形と小さい正方形の面積の和: (6+a1/10)x(a1/10)
よって、(6+a1/10)x(a1/10)<1 ⇔ (60+a1)x a1<100 となる最大のa1は、1。
・上で求めた2本の長方形と小さい正方形を切り出すと、
残ったさらに細いL字部分の面積: 1-6.1x0.1=0.39
ここからなるべく大きい幅 a2/100 の板を切り出すことを考える。
2つの長方形と小さい正方形の面積の和: (6.2+a2/100)x(a2/100)
よって、(6.2+a2/100)x(a2/100)<0.39 ⇔ (620+a2)x a2<3900 となる最大のa2は、6。
- 以下繰り返し -
これを筆算の形で書き下していくと、こうなります。
ポイントは、
・小数点を起点に、2桁ずつ区切って計算する
・右側では、2つの長方形と小さい正方形の面積を次々と引いていく
・左側では、近似正方形の2辺の和を次々と求めていく
となります。
漸化式を筆算することになるので、進めば進むほど桁数がどんどん増えていきますが、子供心にも挑戦意欲が湧き、何桁も筆算していたのを思い出します。
こんなシンプルな方法で計算できるなんて、これを最初に考えた人は本当にすごいですね。
知っていた人も「教科書のAppendixに載っていた」「おじいさんに教えてもらった」「塾で聞いた」などまちまちで、少なくとも学習指導要領に入っていることはなさそうだった。
でもこれ、電卓がない場面では便利なので、覚えておいて損はないと思う。(最近は電卓が手元にない場面の方が珍しい?)
筆算の手法そのものは、開平法 - Wikipedia にも詳しく載っているのでそちらを見ればよいと思うが、なぜその方法で解が求まるのかを考えるのは、ちょっとパズルっぽくて面白い。
Wikipediaの解説が詳しすぎて少し読みにくかったので、√10の計算を例にとり、もう少しわかりやすく書いておきます。
√10=3.??? の求め方
小数点以下1桁目の数字をa1、2桁目の数字をa2、…とする。
・最初に面積10の正方形の板から一辺3の正方形を切り出すと、
残ったL字部分の面積: 10-3x3=1
ここからなるべく大きい幅 a1/10 の板を切り出すことを考える。
2つの長方形と小さい正方形の面積の和: (6+a1/10)x(a1/10)
よって、(6+a1/10)x(a1/10)<1 ⇔ (60+a1)x a1<100 となる最大のa1は、1。
・上で求めた2本の長方形と小さい正方形を切り出すと、
残ったさらに細いL字部分の面積: 1-6.1x0.1=0.39
ここからなるべく大きい幅 a2/100 の板を切り出すことを考える。
2つの長方形と小さい正方形の面積の和: (6.2+a2/100)x(a2/100)
よって、(6.2+a2/100)x(a2/100)<0.39 ⇔ (620+a2)x a2<3900 となる最大のa2は、6。
- 以下繰り返し -
これを筆算の形で書き下していくと、こうなります。
ポイントは、
・小数点を起点に、2桁ずつ区切って計算する
・右側では、2つの長方形と小さい正方形の面積を次々と引いていく
・左側では、近似正方形の2辺の和を次々と求めていく
となります。
漸化式を筆算することになるので、進めば進むほど桁数がどんどん増えていきますが、子供心にも挑戦意欲が湧き、何桁も筆算していたのを思い出します。
こんなシンプルな方法で計算できるなんて、これを最初に考えた人は本当にすごいですね。
宙に浮くコマ [パズル]
JR上野駅構内の「THE STUDY ROOM」に偶然入ってみたらなんと閉店セール中とのことで、「LEVITRON」という科学玩具を思わず買ってしまった。
これ、昔(1994年頃)「U-CAS」という名前で売られ、そこそこ流行した浮遊ゴマで、写真のようにコマが完全に宙に浮いて長時間回り続けるというもの。
といってもU-CASから以下が改善されてます。
1.磁力の強いネオジウム磁石になり、浮く高さがアップ
2.デザインと操作性
デザインは2種類あって、U-CASと同様の黒いプラスチックの台になっているタイプもあったけど、こちらは台がサクラの木でできていて、しかも中央に穴が開いているタイプ。
見た目がかなりカッコよくなっています。
宙に浮かべるには「修練」が必要。
ステップ1.穴の上に置いたフタの中央で、磁力に負けないようにコマをうまく回す
ステップ2.フタごとそろそろと持ち上げ、宙に浮くギリギリの重さになるよう調整
ステップ3.バランスが崩れて弾き出されないよう、台座の水平度を厳密に調整
けっこう微妙な感覚が求められるので、子供には難しい。
14歳以上と書いてあるが、確かに腕から指先まで自分の思い通りに動かせるのは
それくらいの年齢からかもしれない。
で、20分くらい格闘してやっと安定して浮かべることができるようになったわけだが、これが何ともいえず楽しいのですよ。
「技」を体得した感じ。
近い感覚でいうと、けん玉で見事に剣先に玉が入ったときとか、ダーツやビリヤードで狙い通りにビシッと決まったときとかの感じだろうか。
こういう遊びについついはまってしまうような人には、もってこいの玩具だ。
おすすめです。
***
ひとしきり遊んで満足してから思ったこと。
浮遊する原理は、実際に触っていると体感できるのだが、そんなに難しくない。
穴の中央から噴水のように吹き上がり、外側を回って下に戻っていく強力な磁力線のてっぺんにできる窪みに、反発力と重力がちょうど釣り合うくらいの小さな磁石を置けばいいのだが、そのままだと磁石がくるっと反転してしまうので、コマのように回転させることで向きを安定させているのだと思う。
磁力線が見える超能力者ではないので見たわけではないが、まあそんな感じだろう。
しかしすごいと思うのは、この原理を思いついた人がいて、さらに実際に宙に浮かべる手順を生み出した人がいて、それを誰でも実現できるように形や重さや磁力の強さを最適に調整したうえ、生産工場と契約して量産に漕ぎつけた人がいて...
と、実際に何人だったのかはわからないが、こんなちょっとした面白い現象を見事な玩具にまで昇華させたことは素晴らしいと思う。
ということで、昔のU-CASを知っている人もそうでない人も、もし現物を見かけたらいっちょ挑戦されてみてはいかがでしょう。
安くはないけど、強力磁石とか物量がかかっているのである程度は仕方ないのかもしれません。
えきネットの商品ページ (2010年9月現在、あまり取扱店は多くないようです)
パズルとの出会い [パズル]
先日こんなツイートをしたのだが(貼るテストも兼ねて)、
パズルとの出会いってなんだったっけ、とあらためて思った。
子供の頃からかれこれ30年以上パズルで遊んでいるから、パズル好きになる素質があったのは間違いない。
初めのうちは当然、与えられたり家の中に偶然あった、パズルっぽいものを見つけては遊んでいた。どれが最初かは思い出せないが、ジグソーパズル、親戚の家にあったプラパズル(当時の発売元はテンヨー)、本でいえば小城栄さんの「パズル・クイズル」、多湖輝さんの「頭の体操」シリーズなどだ。
その後小学校も高学年以降になると、図書館でパズル本を探したりルービックキューブを親にねだったりパズル雑誌を小遣いで買ったりと、だんだん自力で飛行できるようになっていくわけだが、その間の「離陸」にあたる時期に少なからぬ影響を与えた人物に、冒頭の大叔父がいる。
大叔父は母方の祖母の弟にあたる白髪の大男で、うちに遊びに来るといつもニコニコしながら私に五目並べ(連珠)の手ほどきをしたり、碁石を使ったパズルの本(書名が思い出せず残念)を持ってきてくれたりした。
実は大叔父は連珠界では有名な人(囲碁将棋界とは比べものになりませんが)で、最終的には九段というなんだかすごい段位を持っており、特に詰め連珠の研究では本を何冊も出しているほどだった。私にも著作をいくつか送ってくれたが、「謹呈」というゴム印が押された紙が入っているのが子供にはなんだか照れくさかった。
ともあれ、残念ながら私は連珠の腕はとんと上がらなかったが、詰め連珠の方はすっかり好きになった。これは詰将棋と同様、見る人が見ればかなりパズルに近いものだ。また碁石拾いなどの古典パズルも大叔父のくれた本で覚えたものがいくつもある。
こうして誰かから直接手ほどきを受けたりパズルを紹介されたりという経験は、きっと自分がパズル好きな性分だと気付き、離陸していく時期に大きな影響を与えていたんだろうな、と今はわかる。
もちろん大叔父の方も連珠だけでなくパズル全般が好きだったようで、その後私の作ったパズルがニコリに載るようになると、親経由でそれを知ってニコリを買うようになり、詰め連珠の1種「四追い勝ち」をペンシルパズルにアレンジした「ゴールは5」というパズルを考案したりするようになった。母方の親戚にはパズル好きが多いので、これはもう血筋なのかもしれない。
そんな大叔父も4年ほど前に他界し、親戚や連珠界の大御所たちにちょこんと混ざって私も見送りの列に加わった。
いつか自分も、あんなふうに歳の離れた子供に、パズルの面白さをいつの間にか刷り込むようなことがあるのだろうか。
もしそうなったら、とても面白いことだと思うのだけれども。
- akasyouパズルに興味のある人で、最初に良いパズルを紹介してくれる知人が近くにいた人はラッキーだと思う。私の場合は大叔父だった。
パズルとの出会いってなんだったっけ、とあらためて思った。
子供の頃からかれこれ30年以上パズルで遊んでいるから、パズル好きになる素質があったのは間違いない。
初めのうちは当然、与えられたり家の中に偶然あった、パズルっぽいものを見つけては遊んでいた。どれが最初かは思い出せないが、ジグソーパズル、親戚の家にあったプラパズル(当時の発売元はテンヨー)、本でいえば小城栄さんの「パズル・クイズル」、多湖輝さんの「頭の体操」シリーズなどだ。
その後小学校も高学年以降になると、図書館でパズル本を探したりルービックキューブを親にねだったりパズル雑誌を小遣いで買ったりと、だんだん自力で飛行できるようになっていくわけだが、その間の「離陸」にあたる時期に少なからぬ影響を与えた人物に、冒頭の大叔父がいる。
大叔父は母方の祖母の弟にあたる白髪の大男で、うちに遊びに来るといつもニコニコしながら私に五目並べ(連珠)の手ほどきをしたり、碁石を使ったパズルの本(書名が思い出せず残念)を持ってきてくれたりした。
実は大叔父は連珠界では有名な人(囲碁将棋界とは比べものになりませんが)で、最終的には九段というなんだかすごい段位を持っており、特に詰め連珠の研究では本を何冊も出しているほどだった。私にも著作をいくつか送ってくれたが、「謹呈」というゴム印が押された紙が入っているのが子供にはなんだか照れくさかった。
ともあれ、残念ながら私は連珠の腕はとんと上がらなかったが、詰め連珠の方はすっかり好きになった。これは詰将棋と同様、見る人が見ればかなりパズルに近いものだ。また碁石拾いなどの古典パズルも大叔父のくれた本で覚えたものがいくつもある。
こうして誰かから直接手ほどきを受けたりパズルを紹介されたりという経験は、きっと自分がパズル好きな性分だと気付き、離陸していく時期に大きな影響を与えていたんだろうな、と今はわかる。
もちろん大叔父の方も連珠だけでなくパズル全般が好きだったようで、その後私の作ったパズルがニコリに載るようになると、親経由でそれを知ってニコリを買うようになり、詰め連珠の1種「四追い勝ち」をペンシルパズルにアレンジした「ゴールは5」というパズルを考案したりするようになった。母方の親戚にはパズル好きが多いので、これはもう血筋なのかもしれない。
そんな大叔父も4年ほど前に他界し、親戚や連珠界の大御所たちにちょこんと混ざって私も見送りの列に加わった。
いつか自分も、あんなふうに歳の離れた子供に、パズルの面白さをいつの間にか刷り込むようなことがあるのだろうか。
もしそうなったら、とても面白いことだと思うのだけれども。